株式会社めいじん
代表取締役社長
木須 信浩
私は、二十数年前の31歳の時に父の急逝により突然社長という大役を務めることになりました。経営というものにはド素人で右も左もわからず、父が残した会社をただただ維持することだけを考えて生きていたというのが真実です。たまたま当時の思い付きのアイデアの「100円均一回転寿司」がブレイクし、会計上心もとない懐事情もみるみる改善し、いつの間にやら「成功企業」としての地位を獲得したのでした。
成長があまりに急であったので、マスコミ等にも取り上げられ、大分県民だけでなく九州中に注目され、大手デベロッパーからの出店依頼は途切れることのない状態でした。いきなり大金を手にした私は、それをどう使っていけばいいかもわからず、日々悩み続けるという、嬉しい悲鳴をあげている状態でした。
私の父が残した言葉で印象に残っているものがあります。
「形の残る贅沢はするな。経験という学びに使う贅沢なら勇気を持って使え。」
父が死んで20年以上がたった今もこの言葉は生きています。私は、儲けたお金を社員教育に使おうと決意します。そして会社のステータスを上げるために社員をいろいろな勉強会や研修、セミナー、業界視察などに派遣しました。遠くはアメリカやアジアなど国内、海外問わず「学び」においては惜しめもなくお金をかけました。
しかし、私が思い描いたようにはいきませんでした。社員はいつの間にやら、社員教育にかこつけて自己利益のため、浪費するようになってしまっていたのです。ここではあまり語りたくもないのですが、汚職や水増しといった不正のやりたい放題でした。そもそも「学び」の準備ができていなかったのだと思います。
そんな社員が増えてしまったのも、全て私社長の器の小ささ、未熟さからのものだったと深く反省します。要は、目標や使命、明確なビジョンを社員に示してなかったのに、付け焼刃の社員教育でいいことをしている気になっていたのだと思います。結果、社員は「学び」を忘れ、自己顕示意欲が増長され、「今だけがよければいい」「所詮金が全て」「自分さえよければいい」という最悪の社風が育ってしまいました。
そんな時リーマンショックや、東日本大震災という危機が訪れました。案の定会社内は、混乱しました。社員達は自らが生き残るために社内サバイバルを始めたのです。同僚の誹謗中傷や、出る杭は打つという、利己的な考えで満たされてしまいました。一発逆転を狙い、うすっぺらなアイデアで手柄を自慢し、失敗した場合は他人のせいにするというひどい状態です。この頃中傷サイトにネガティブコメントが増え、疑心暗鬼な状態が続きました。おそらく社員自らが書き込んでいたのだと思います。悪循環に陥り、どうしようもない状態であった時、食中毒事件を起こしてしまいました。今にして思えば、よくつぶれなかったと不思議でなりません。
こんなことがあろうとも見守ってくださったたくさんのお客様、関係業者様のおかげであったと、感謝しても、しても、、、しきれません。今まで起きた様々なことを後悔しても仕方がありません。ただ絶対にこの経験は忘れず心に刻まないといけないと思っております。いいことも悪いことも全て自分が招いたことだと自覚し、むしろ様々な経験をつませていただいた全ての方々に感謝します。
2020年コロナパンデミックが世界を襲いました。もちろん我が社も無傷ではありません。しかし今度は立ち直ることができる気がします。なぜなら明確にやるべきことがわかっているからです。「我欲を捨て、自責の念を持ち、全てに感謝し、神羅万象の発展ために命がけで尽くすこと」だと思います。今後発展していく企業は、国連が示したSDG's(持続可能な開発目標)の取り組みを真剣に考えているところだけだと思います。我々めいじんは、持続可能でない発展は絶対にないと宣言します。社員一人一人が地域社会に貢献できるように、また大きくは母なる地球のためになることを常に考え行動することを心に誓います。
私どもめいじんの経営理念を見てください。私が30代半ば頃にある日ビビッときて書き起こしたものです。なんとも誇らしい素直で誠実な宣言でしょうか。この経営理念という存在意義に誇りを持ち、もう一度「学び」に投資いたします。社員はそれを受け入れる「器」を大きく持ってください。めいじんは、いや日本は、あなたたちに期待しております。シン・ニホン、いや、シン・メイジンはここから始まります。